日本と台湾を音楽でつなげていきたい 京えりこインタビュー(1)
人生の中で、心に残る歌詞、励まされた歌詞がある人も多いだろう。作詞家は、きっと多くの人の人生に影響を与えている職業のひとつだと思う。
作詞家の京えりこさんは、ムッシュかまやつの「キスの写真集」で作詞家としてデビュー。以降、ポップス・アニメ・声優・演歌・歌謡曲の歌詞を提供し続けている。近年は、台湾・フィリピン・奄美、黒潮文化を共通点に持つアジア諸国と日本の音楽交流に基づいた音楽制作を模索している。今回は、作詞家という仕事について、そして、力を入れているアジア諸国と日本の音楽交流の中でも、特に台湾との音楽交流について話して頂いた。
13歳の少女が知った詩の素晴らしさ。抱いた将来の夢
―作詞家は子どもの頃からの夢だったのですか?
そうですね。13歳の時にクラスの友人が書いた詩を見た時に、すごく電流が走ったというのが最初にあるんですよね。それは、自由詩だったんですけど、「私は抜けるような青空が好き」というもので。読んだら、本当に青空が見えたんです。その時に、言葉ってすごいなって思って。もともと小さい時から歌うことが好きだったので、歌と詩が結びついて “作詞”ということを思ったんです。その頃は1970年代で、日本のいわゆる歌謡曲が大ヒットしていた時代で、テレビを見れば必ず歌番組をやっていました。テレビを見ながら、“私は、この歌手のひとたちの詞を書く人になろう”と、13歳の時に決めました。
当時は、阿久悠さん、都倉俊一さんの黄金コンビや松本隆さんの歌詞などがたくさん流れていて、それを聴いていたと思います。それから、のちに作詞を習うことになる山川啓介さんも。中学のクラスがとてもユニークで、当時のヒット曲とクラスで作ったオリジナル曲を下校時に歌う習慣があったんです。ちょうど作詞家になろう、と決めたときに、クラスで歌っていたヒット曲が、山川啓介さんが作詞した中村雅俊さんの「ふれあい」だったんです。何て素敵な歌詞なんだろうと。のちに作詞を習うなんて、偶然と言えば偶然かもしれませんが、不思議なものだなと思いました。
高校を卒業して、鹿児島から東京に進学をしましたが、大学を出てすぐに作詞家になったわけではないんです。というか、どうやったら作詞家になれるのか?が分からなかったですね。当時は情報もそんなにないので。なので、就職をして商社で働いていました。ただ、鹿児島から東京にやって来た理由は、表向きは“進学のため”でしたが、私の中では“作詞家になるため”という、誰にも言っていなかった目的があったんですよ。
大学4年生の時に、ビクター音楽カレッジの小さな新聞広告を見つけたのですが、その後、就職が決まった会社が偶然そのビクター音楽カレッジの2軒先でした(笑)。そこで、会社員をしながら通うことにしました。ビクター音楽カレッジには、歌手コース、作曲コース、作詞コースなどさまざまなものがあって、作詞コース通いました。作詞コースの中には山川啓介クラスがあって、そこに入りたい!と思い、詞を書く試験のようなものを経て、クラスで作詞を教えてもらうことになりました。これが仕事に繋がっていきます。
言葉が自分のものになっていないと響かない
―作詞家が詞を提供する時には、あらかじめテーマが決まっていて、それから依頼が来るのでしょうか?
今、一番多いのは、曲をもらうということです。その曲というのは、コンペで10人から大きいものでは100人くらいが作曲した中から、勝ち残った曲が作詞家にダイレクトに依頼されるというものです。私自身も、作詞コンペもたくさん経験してきました。いまは、コンペがとても多い印象があります。作詞家としてデビューした頃は、知り合った人から、“この曲に詞をつけて”と言われて仕事をしていたこともあります。
いずれにしても、詞を先に書くよりも、出来上がった曲に対して詞をつけていく方が多いかと思います。私の仕事の最初はポップスでしたが、ポップスは9割近くが曲が先です。曲を聴いてイメージした詞を付ける、といった自由な感じで仕事をすることもあれば、時にはタイトルが既に決まっていたり、内容もある程度決まっていたりということもあります。作品によってさまざまですね。
詞を作るために多くの言葉や単語を知っていないといけないと言うよりも、その言葉や単語が自分のものでなければ、きっとあまり意味がないと思っています。どんな言葉であっても、その人が書いた本当の言葉であれば、人に伝わるのかなと思っています。CMソングなどは、使って欲しい言葉などが既に決まっていることが多くて、それは言葉を決めてからやります。どんなやり方であっても、それが表現するものに合っていれば、きっといい言葉になるのかなと思っています。
―詞は、3分~5分くらいの間で物語を広げるという、ある種の制約があるように感じます。限られた時間内で物語を作るための集中力なども必要なのでしょうか?
曲が先にある場合、作詞家の手元に来る時点で、その曲はほぼ完成しています。完成された曲の中に、既に答えがあるように思っています。だから、ただひたすら、その曲を聴きます。メロディに上手く当てはまる言葉を探すというよりも、メロディが既に持っているものを探っていくために、その曲をずっと聴き続けていきます。そうやって聴いているうちに、“これが答えだ”というものが見えて、詞が出来てくるものかなと。
もしかしたら、作詞家と作曲家の“相性”というものも大切なのかなと思います。いっぱいコンペをして私のものが採用されたときには、相性が良かったのかなと思うし。長年やっているとそれはあるかなと思いますね。
―相性というと、なんだか“お見合い”とか“就活”みたいですね。
そうですね(笑)それに尽きるかもしれませんね。そうは言っても、相性バッチリの人といつも仕事ができる訳ではないですけどね(笑)。
ポップスは9割が曲が先ですが、演歌・歌謡曲は9割が逆に詞が先です。私はどちらも好きですが、両方を経験しているケースは珍しいみたいです。私は多分、70年代の歌謡曲からポップスからニューミュージック、そしてJ-POPの手前くらいの時代を良く知っているので、ポップスと演歌・歌謡曲と両方ともやれているのかなと思っています。気が付いたら幅広くやっていますね。
きっと、昔は詞が先で、日本にいわゆる洋楽が入ってきて、洋楽志向になってきてから曲が先行するようになってきたかなと、仕事をしていて思うことはあります。メロディや音楽性に、いかに言葉を当てはめていくかが、いまは主流になっているかなと思います。ミュージシャンやディレクター、作詞家、作曲家の年齢によって制作のやり方も違ってくるかなと思います。
長年やっていて思うのは、“最初が大事”ということ。良い詞なら良いメロディがつくし、良いメロディなら良い詞がつく、というように。どっちが先だがら良いということではないなと仕事をして感じていることです。
台湾との出逢い、そして音楽交流のきっかけ
―作詞に関してもとても興味深いお話を頂きましたが、京えりこさんにお話を伺うのに外せないのが“台湾”だと思います。
初めて台湾に行ったのは、1985年。戒厳令が解除される前の台湾でした。当時の私は、作詞家になりたいという希望を持っていた会社員で、台北支店への出張で台湾に行きました。戒厳令解除前なので、今に比べると台北も静かな雰囲気でビルも少なかったです。それでもカラオケスナックに行けば駐在員も現地の人も日本の歌や台湾の歌を歌い賑やかで、ここも歌が盛んな場所なんだなと、思ったことを覚えています。戒厳令が解除される前の台湾も2、3度行きましたし、戒厳令が解除された後は、旅行者として台湾には何度も訪れていました。主人の父が台湾人ということもあり、台湾には縁があると思っています。
仕事として台湾に行ったのは、今から6年前のことです。日本人演歌歌手の飛鳥とも美が、カラオケ雑誌「月刊カラオケファン」の台北での出版記念キャンペーンガールになった際に、台湾にちなんだ歌を出すことになりました。「永遠の春」(とわのはる)という曲ですが、作詞を私が担当したのがきっかけです。九份や阿里山などの台湾の観光名所などを織り交ぜた詞を書きました。
彼女がキャンペーンで台湾に行き、「永遠の春」をみなさんの前で歌う際に、私も一緒に行き、台北だけではなく多くの場所を訪ねました。その中でも印象深かったのが、台湾中部にある南投県の埔里(プーリー)という場所です。
京えりこ(きょう・えりこ)
鹿児島市出身
1991年、歌詞がレコード会社のプロデューサーの目にとまる。ムッシュかまやつの「キスの写真集」でデビュー。以降、ポップス・アニメ・声優・演歌・歌謡曲の歌詞を提供。現在、台湾・フィリピン・奄美、黒潮文化を共通点に持つアジア諸国と日本の音楽交流に基づいた音楽制作を模索中。一般社団法人 日本作詩家協会 理事(2014年~2020年)
◆主な作品
岩崎宏美40周年記念曲「光の軌跡」
伊藤咲子「プルメリアの涙」(作曲家三木たかし氏遺作のメロディ)
宮路オサム・走裕介「風来ながれ唄」
飛鳥とも美 「永遠の春」
Yucca「ALIVE~心の休息~」「花~Higher Higher~」
西田ひかる「愛はそばに」
ムッシュかまやつ「キスの写真集」
児島未散「Everlasting」Lyricプロデュース
東京パフォーマンスドール・篠原涼子「言葉と花を束ねて」
菅原祥子「ガムシャラ」
など、100曲ほど提供。
◆台湾で発売されている楽曲および音楽制作担当
Yucca 「THE BEST」の「ALIVE ~心の休息~」
飛鳥とも美 「大家好!我是飛鳥奉美」の「永遠の春」
九族文化村の2018年の櫻花祭の音楽制作「海人」(Yosakoiの踊りのための音楽)&櫻花祭のCMソング
インタビュー:石井由紀子(ミュージックソムリエ)
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