著名人が語る「私の1曲」 佐野史郎さん(俳優)

 ご自身も過去にバンド活動をされ、音楽好きとして知られる佐野史郎さん。佐野さんの一曲は?という問いに、まさに音楽と人間の関わりの本質を突くお答えをいただきました。

 このインタビューを行ったのは2011年2月半ばでしたが、まもなく大震災が起こり、更新が大幅に遅れました。今は日本中が震災と原発事故の後遺症に苦しみ、世界は金融危機に瀕しています。「世間的な価値」が揺らいでいる今だからなお、佐野さんのお話は心に深く沁みてきます。

――まずは佐野さんの音の記憶についてお話しいただけますか?
「音の体験の記憶を遡っていくと、赤ちゃんだった頃を思い出します。ガラガラやメリーゴーラウンド、オルゴール、金だらいで水を使っているピチャピチャという音。月に一度の縁日で売っていた虫やジュウシマツの鳴き声・・・」


――縁日で虫を売っていたんですか?
「そう、コウロギとかキリギリスとか。小泉八雲が書いているように、オルゴールのように虫の音を愛でるという風物詩ですね。50年くらい前にはあたりまえの日本の風景だったのだろうと思います。幼少時の音の体験は思い出せばきりがないですね」


――音楽体験はいかがですか?
「父の趣味がオーディオで、真空管アンプなどを自作していたので、家の中ではいつも音楽が鳴っていました。両親はクラシック一辺倒でしたね。オペラやカンツォーネ、ときにはストラヴィンスキーなども聴いていた。父がヴァイオリンで弾いていたバッハの“G線上のアリア”などもよくおぼえています。僕も3歳から12歳くらいまでヴァイオリンを習っていたんですよ。いやいやながら、だったけれど(笑)。

そんな家庭環境にあって、小学6年生の頃にドラムセットの生の音を初めて聴いたときにはショックでした。当時住んでいた松江で大学生のバンドが弾いた“ブルドッグ”という曲。まるで爆音だった。それがロックの世界に足を踏み入れるきっかけだったかもしれません」

――時代は60年代後半くらいですね。
「そうです。中学時代には深夜放送のオールナイト・ニッポンが始まって、糸居五郎のDJを聴いたり、雑誌のミュージック・ライフを読んだりしていた。ビートルズがサージェント・ペパーズを出したときもリアルタイムで経験しているので、洋楽邦楽を問わず、その頃のフォークやロックには一番影響を受けています。音楽だけじゃない、僕のすべての表現の基礎はそこにあります」

――その中に佐野さんの“1曲”があるのでしょうか?
「“これ”という絶対的な1曲は選べないですね。とても好きな曲でも、それを聴く自分も自分を取り巻く環境も日々変わっているのだから。たまたま昨日、お店でビールを飲んでいたんですよ。そうしたら外の景色が雨から雪に変わりかけた。ちょうどそのときにパーシー・フェイス・オーケストラの“夏の日の恋”がBGMでかかっていてね。冬景色なのに夏の恋。それがなんとも穏やかな夕どきの自分と合っていた。それが“今の”自分の1曲ですね」


――ラウンジ・ミュージックとは、少し意外です。
「音楽体験としては、激しいロックと一緒に、イージーリスニングもあるんです。エンニオ・モリコーネとかフランシス・レイとかね。洋楽しか聴かない、邦楽しか聴かないという人もいるけれど、ぼくにはよくわからない。ジャンルや楽器やプレイヤーも、ぼくは“これだけ”というふうには分けられないですね」


――ご自身では弾くことと聴くことは分けますか?
「分けないですね。明確な違いはないと思っています。俳優の仕事とも分けない。分けないというより分けられない、というのが正直なところです。音にしろ絵画にしろ演技にしろ、自分の身体から表現されたものは、ジャンルを規定しなくていいと思う」


――音楽も含め、日々の生活すべてが佐野さんという俳優を作っているということですね。
「自分でそう決めているのではなく、たぶん人が決めることですけどね。さまざまな事象に対して感想を持ち、いろいろな見方をする。そういう関係性があるだけ。点描のようなものですね」

――1曲の話題に戻りますが、“夏の日の恋”を選んでくださった理由をもう少しお願いできますか?
「一般的にいうところの音楽からイメージするものは、人が受けた印象なりインスピレーションなりを組み立て直して、さらに聴き手を意識して創り上げる。それをみんなで共有するわけだけれど、僕はあまりにも意識して出された音って胡散臭く感じてしまうんです。降りてきた、とか、神様が作ったメロディとか言われると、警戒してしまう。軽音楽は、予め“これは神様の声でも何でもありません、所詮は作られたものです”という音楽です。“きれいに聞こえたりするけど、わざとそう作ってます”とね(笑)」

――わざと深い意味がないように作っている、それがかえっていいと?
「これは本物だといわれるよりも、軽音楽ね、イージーリスニングね、といわれるような 何の役にも立たないものが僕は好きなのかもしれない。ちょっと下に見られるようなね。芝居や映画も同じです。くだらないTVドラマでも、ものすごく難しいんですよ。馬鹿みたいなドラマを緻密に作り上げる、それはいわゆる“立派なもの”を作るよりも大変なことなんです。そういうものに参加できることを僕は誇りに思っているし、それを生み出すエネルギーに惹かれるんです」

――世間的にはくだらないと見過ごされがちなもの、些細なものこそかけがえがない?
「そう、そういう見方がおろそかにされがちだし、事象でも人間でも、世間的な価値がなければ忘れられたり捨てられたりするわけですよ。でもその中には素晴らしいものがいっぱいある。無価値といわれるものや、ただ時間を浪費するだけのものが僕にとってはすごく大切なんだ。ミュージックシーンでもくだらないものがなくなってきていますね。みんなかっこよくなってしまって。意味のない、もっと言えば無垢なもの、赤ん坊が落ち葉を見て目で追うような。そこには何の意味もないかもしれないけれど、現象として身体に入っている。そんな時間と、僕がいいなと思った夕刻が繋がっている。時間や音が、始まりも終わりもないように流れている。これはなかなか人と共有することは難しいけれど、それでいい。それでもザルで水をすくうような、薪を右から左へ、左から右へと動かしているような、そんな人生でありたいと思うんです」

――音楽や演劇という、もっとも自由な感性を持つべき領域でも、つい“世間的な価値”にとらわれてしまいますね。深く考えさせられました。ありがとうございました。

取材・構成:山崎広子

佐野史郎 
さの・しろう●1955年生まれ。医師である父のインターン時代に山梨で生まれ、2歳から7歳まで東京で育つ。学生時代よりさまざまなバンド活動を行う。1975年、劇団「シェイクスピア・シアター」に創設メンバーとして参加。1980年、唐十郎主宰の「状況劇場」に移り、1984年まで在籍。1986年に林海象監督の『夢みるように眠りたい』の主役で映画に初主演した。1992年、テレビドラマ『ずっとあなたが好きだった』の冬彦役でブレイク。TVドラマ、映画で幅広く活躍。小泉八雲を敬愛し、朗読や解説などで全国に紹介している。



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