「今、なぜミュージック・ソムリエが必要か」
ユニバーサル・ミュージック合同会社 元会長 故 石坂 敬一
評論が重要!
尊厳の念を抱くのと憧憬の気持ちを持つのは人間にとって重要であり、必須のことである。その対象は誰だ?アーチストとか作家とか政治家とか歴史上の人物とか、それに相応しい人だ。尊敬と憧憬はえらく違うものだけど、その違いは「自信と傲慢の違い」よりも危険度は少ない。
自分にとっては、評論家では中村とうよう氏、渋澤龍彦氏、油井正一氏、日下公人氏、福田和也氏あたりがいい。アーチストでは、ジョン・レノン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、長渕剛、矢沢永吉です。歴史上の人では伊藤一刀斎、上泉伊勢守信綱、織田信長、永楽帝(明の宗室の燕王)、ホレーショ・ネルソン、オスカー・ワイルドか。
憧れの人物をイメージしながら自分の発言や思考や行動を導き出すと楽しくなる。対象となる人物が偉すぎても臆してはいけない。憧れの人に追いつき、追いこせだ。何かのパートで自分なりにその憧れと尊敬の対象に勝つことだ。
ジェフ・ベック、ジミー・ペイジ、ピンク・フロイドは、ロック音楽の世界で既に歴史的存在だ。アメリカも欧州もとうてい発想しなかった、或いは技術的に創り得なかった匠のロック芸術をこの3つは成し遂げた。評論家やジャーナリズムがこの3つの存在にはとても重要だったし貢献した。批判も苦言も称賛も無視もあった。中村とうよう氏の辛口批評、渋谷陽一氏の凄い用語と分析。評論家の考え方や言葉が芸術やロックや作品を弁証法的に発展させる。
今は強い評論の力がもっとも期待される。そして評論にしっかりと値する魅力的な音楽家と作品がもっともっと出てきてほしい。日本もアメリカもイギリスも、揃いも揃って音楽評論、音楽批評家の存在感、音楽ジャーナリズム(主として雑誌)は低調だ。「ニュー・ミュージック・マガジン」「スイング・ジャーナル」「ロッキン・オン」「話の特集」「平凡パンチ」は日本のロック/ジャズを鍛え、育てた。「ローリング・ストーン」「ダウンビート」、「クローダディー」「メロディ・メーカー」等は世界的視野でロック/ポップ/ジャズを論評し、時としてオブジェに関して激論した。
強き評論の土壌を耕し、音楽活動の底上げを期待
最近、有名新聞に、“ハード・グラム・ロック”がかつて盛んだった、というような記事が載っていた。アリス・クーパーの如き存在を語っているらしいが、35年~40年前の未経験の現象だと、こんなメチャクチャな解釈になるのか。グラム・ロックはイギリスであり退廃でありファッションであり文化であり、ハード・ロックは音楽のスタイルである。力のある、見識のある評論家が主導すればこんな軽い混乱は出てこない。
音楽は、自分にとっては「美」の追求であり「生理的快楽」の達成なのである。音楽は聴くものであり楽しむものであり感動するものであるが、その音楽に自分の理性と完成を仮託して論争するものでもある。そして音楽も音楽家も音楽ビジネスも自分も、もっと面白くなる。
“ミュージック・ソムリエ”には、よって、スゴく期待するし、永く続いて欲しい。
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